大学生の「老害」について思うこと

大学生は,部活動やサークル活動など,さまざまな上下関係を伴う組織に所属している.

そういった組織の中で,能力がないにも関わらず,単に先輩というだけの理由で指導的立場に居座り,組織全体に害を成す「先輩」は,「老害」とよばれるらしい.老害とは,狭義には高齢者のみを指すらしいが,組織の中で相対的に高齢者である先輩を指して「老害」と呼んでいるのだろう.

さて,自分自身も,そろそろ学内で「老害」になれるようなポジションになってきた.最近私の口ぶりを快く思っていない雰囲気の知り合いには,さも私が「老害」であると言わんばかりに,「老害にならないように気をつけてね」と忠告された.そこで,いまいちど「老害」について思うところを書いておく.

長文を読む時間がないとか,長文を読む頭がないという人向けに,要旨をまとめておくと,次のようになる.

  • 確実に「老害」と呼ばれない方法は,後輩と関わらないことか,無思想でいること.
  • 学ぶことを放棄した瞬間,すでに「老害」と言われても仕方がない.
  • 老害」と呼ばれないために,若者に迎合するのは,一番タチの悪い「老害」である.
  • 老害」と呼ぶ方がバカな場合も,多々あるだろう.
  • 老害」と言われてからが,学ぶチャンスなのではないか.

確実に「老害」と呼ばれない方法

老害」と呼ばれないための一番簡単な方法は,後輩と関わらないことか,無思想でいることである.後輩と関わらないことは,それ自体に良いも悪いもないと思うが,無思想は確実に悪い.そもそも私は,人間は何かしら思想を持って生きるべきだと思っているし,思想のないところに良いモノは生まれないと思っている.大学での学びとは世界観の構築に他ならないと考える以上,無思想なところに良い世界観が宿るはずがない.

ところで,そういうまともな思想があれば,それを誰かに伝えたいと思うのは,おかしなことではない(もちろんそうは思わない人もいるだろう).まともに学んで,ある程度人にきちんと論理的に説明できる思想がある一方で,「老害」と呼ばれず後輩と関わりたい人はどうすればよいだろうか.

学ぶことを放棄した瞬間,すでに「老害」と言われても仕方がない

それはおそらく,学ぶことを放棄しないことだと思う.先輩とは,後輩に教えを垂れるものではなく,後輩と一緒に学ぶものなのである.それを放棄した瞬間,「老害」と呼ばれても仕方がない.

学ばない先輩は,自分が,今できることしかしない.そういう人と協働をする後輩は不幸である.どんなにやる気があったとしても,先輩の能力以上の仕事をすることができなくなるからである.それでは優秀な後輩に恨まれ,「老害」とよばれたとしても仕方がない.

自分より優秀な後輩は常に現れ得る.よほど特殊な環境にいない限り,世の中をきちんと見ていれば,そういうことはわかるはずなのだが,それがわからない人もいるようである.人の能力は,その人の学年や肩書きによって判断できると思って疑わない人たちである.まさに井の中の老害である.

老害」と呼ばれないために,若者に迎合するのは,一番タチの悪い「老害」である

老害と呼ばれないために,若者に迎合する「先輩」がいる.「後輩の言うことを尊重する」などといいつつ,何か聞かれたら通り一遍の答えを並べ上げるだけで,それ以外に自分からは何も主体的に関わろうとしない人たちである.適切なタイミングで「ヒント」を与えることが,先輩の唯一の努めだと思っているのである.こういう人たちは,後輩にどういうことを学んで欲しいかとか,そういうことには一切興味がないのだろう.「いい先輩」としての立場を守ることだけを考えているのである.

後輩は,こういう人たちのことを,「ヒントをくれる優しい先輩」と思うらしい.しかし,こういう人たちについていって得るものはあまりない.仮に得るものがあるとしても,別にその先輩からじゃなくても高い確率で得られるものだったのではないか.

老害」と呼ぶ方がバカな場合も,多々あるだろう

はっきり言って,人が集まれば,優秀な人もそうでない人もいる.優秀でない人はしばしば,優秀な人の何が優秀なのかわからない.優秀じゃない人が「老害」と呼んでいる先輩は,実は老害でない可能性が高い.

大学生にありがちなのは,何一つ論理的な批判ができないくせに,単に好き嫌いの問題で「気にくわない」先輩を「老害」と呼んでいる人である.自分の好き嫌いこそが普遍的な論理だと思っている「お客様」である.大学生なら,批判の一つぐらいきちんとできるようになるべきだと思うが,その能力もその勇気もないので,ありふれた侮蔑語を陰で言うしかないわけである.そういう人たちは,深夜のコンビニで,高校生や大学生のアルバイト店員に,大した理由もなく怒鳴りつけている迷惑な「お客様」と大差ない.そういう人に「老害」などと呼ばれるなら,むしろきちんと仕事をしていることの証であり,誇るべきことなのではないか.

老害」と言われてからが,学ぶチャンスなのではないか

大学生が,後輩に「老害」と言われたらショックだろう.しかし,だから安直に後輩に優しくしよう,などと思うのではなく,自分の何が問題だったのか(あるいは自分の何が問題でなかったのか),冷静に振り返ることから始めたい.老害と言った方が的外れな場合もある.

重要なのは,「老害」といわれることを契機に,再び学び始めることだと思う.

おわりに

大したことを言っていない気がするが,とりあえず思うところを書いておく.多分,この文章を最後まで読んでくれた人は「何を当たり前のことをずっと言っているのだろう」と思ったことと思う.それは,こういう文章は,本当に読んで欲しい人には届かず,読まなくてもいい人のもとに届くからである.